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一人静か

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04/05/17:32  

私は、咲き誇った桜の花を見るたび思い出すだろう。私の祖母の名は春子で、、小鳥が優しくさえずる、うららかな春の日に生まれたのか、穏やかで暖かい人だった。そんな春子ばあちゃんが住む母の実家は、バスも電車も通っていない。子供の頃は、母の自転車の荷台に乗るか、雪の日は歩くしかなかったけれど、遠い道のりも苦ではなかった。春子ばあちゃんの作るサラダは私の口に合い、おねだりしていつも作ってもらっていた。私のサラダの味は、ばあちゃんの味。また、ばあちゃんはウイットにも富、免許取り立てで、ばあちゃん姉妹3人を法事に連れて行く途中、私の運転が下手なのに気付き、「冬美ちゃん、なんぼう私らが冥土に近くてもここで連れて行っちゃあいけんよ。ゆっくりでええからね。冬美ちゃんにはまだ分からんじゃろうけど、揺れがひどいと下もゆるむんよ。」などと。四季で統一したかったのか、私の母の名は夏子と言い、うだる様な夏の暑い日に生まれたのか、気が強くうっとうしいぐらい私に指図した。私はあの春子ばあちゃんから母が産まれた事が不思議。母は父親似なのか?こま使いのように私を使っていた母なので、ちょくちょくばあちゃんの所へも行き、春の様な暖かい思い出も沢山ある。しかし名前とは逆に、ばあちゃんが最期に住んでいたい部屋はあまりに寂しく、何処からか「ヒュウヒュウ」木枯しの音が・・葉っぱの揺らぎと残された葉数を数えるだけの部屋で、私に残した最期の言葉は、「桜が見たい。木戸山の桜が。」私はその事を実現出来なかった後悔から、母には数年前から「冥土の土産」と言って、あっちこっちの桜を見せていた。そんな時いつも「ああ、幸せじゃね。もう思い残すことは何もない。」母の台詞。何年も同じ台詞を言う母に「いいかげんにしてえよ。」私のブラックジョウクが飛ぶ。母はすまなさそうに、「もう来年は言わんから。」しかし、2年前不治の病だと分かり、今年が最期のお花見かもと、姉や主人も誘って五重の塔の下でお花見。この時も母は、同じ台詞を繰り返した。口では思い残す事は何も無い、と言ってはみたものの、やり残しが多かったのか不思議と元気を取り戻し、昨年は自らの音頭で、「徳佐のしだれ桜」見物。満開の桜は幻想的で美しく、姉や主人もこの様な桜は初めてだと感激もひとしお。時折、風に吹かれてハラハラと散る花びら。主人が、まるで実母の様に母を背負い参道を歩いてくれた。心から感謝し思い残す事が何も無くなったのか、遠慮したのか、母は自らの足で参道を歩き幻想的な世界へと旅立った。



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